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二十一世紀を開く扉 〜言葉の探求、美の思索〜 大岡信フォーラム ・om-forum.org |
フォーラムの設立趣意書
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私の思っていること
大岡信とつぜんですが、このたび別記のような企てを思い立ちまして、広くこの主旨に賛同して下さるであろう方々にご説明し、ご理解とご協力をお願いする運びとなりました。ついてはまず、こんなことを考えついた人間が、自分の考えを申しのべるのが当然だろうという関係者各位のおすすめもあり、気持ちの一端を申しあげる次第です。
二十一世紀は何のきわだった新しい展開を見せることもなく到来しました。日本だけでなく、よその国々からも目の覚めるような素晴らしい出来事が生じたというニュースも聞こえてきません。予想した通りでした。
日本ではここ三十年ほど、何か大きなことが生じたなら、それはまずたいてい、ろくでもない暗い出来事の繰返しだったといっても過言ではないと思います。虚偽と欺瞞を積み重ねたあげく、脆弱な虚飾社会の繁栄は、わずか三十年で化けの皮が剥がれつつあります。
「まったく困ったもんだ」とお互い思いながら、先の見通しも立たず、過ぎ来し方に自信もなく、途方に暮れているというのがIT革命に浮かれているひと握りの方々を除けば、大方の人々共通の現在ではないでしょうか。
私はこの日本社会の現状を、どうにも居心地が悪いなあと感じ、なんとかならんかね、と思って不機嫌になっている人間です。どこかへ逃避行を試みるなんてことは、初めから問題にもなりません。容赦なく年もとります。だいぶ前に出した本のあとがきで、私は次のような漫文を書いたことがあります。
「ウサギさん、ウサギさん、そんなに急いでどこゆくの? という童謡がありますが、私たち昭和・平成の日本人は、ウサギさんの何代目になりますか、とにかく目の色変えて新しいものを追っかけるという習性にどっぷり浸っています。おまけにコンピューター器機という、人をこき使うために人の手助けをしてくれるのを大得意とするマシーンが、いよいよご主人様になりつつある時代ですから、たださえ新しいものに従順な私たちとしては、ますます忙しくなること必定です。」
「私たちはこんなに日々忙しく立ち働いているのに、それにまた長寿社会だそうだのに、それにしてはなぜ、それほど精神的に快活じゃないのだろうか、という素朴な疑問。」(『一九〇〇年前夜後朝譚』より)
私が皆様に、ご案内のような企てを申しあげることにしたのは、「精神的に快活に生きること」を何らかの意味でねがっているはずの人々の一人として、自分にできることをやってみるほかないと思い立ったからです。自分だけでそれができるなどとは毛頭思いませんが、きっかけだけでも作ってみようと思ったのです。多少でも居心地よくするために。
はじめは、私が何かを話すことから始めます。それ以外には私にできることもないでしょう。話すことはすべて、自分の貧しい体験を出発点にするつもりです。とくに、過去半世紀の日本の、私が多少は他の人よりも詳しく知っていると思われる一九五〇−六〇年代ごろの、詩歌や諸芸術の運動について、問わず語り風に、つまり学校の講義風でも、ましてホールでの講演風でもなく話したいと思います。当然そこでは現存の、または物故してしまった友人たちの思い出ばなしもたくさん出てくるでしょう。
谷川俊太郎、吉岡実、飯島耕一とか、詩誌「櫂」「鰐」グループの詩人たち、武満徹、一柳慧その他の作曲家たち、菅井汲、駒井哲郎、加納光於、宇佐美圭司、嶋田しづその他の画家・彫刻家たち、瀧口修造、寺田透その他の芸術思想家たち、白石加代子、岸恵子他の演劇、映画俳優たち――みな私が親しく知っている(いた)人たちであり、日本の戦後を代表する芸術家たちでした。この人々の作った作品も、多少は秘蔵しております。それも、私が死んでしまえばそのまま倉庫に眠ったままになってしまうでしょう。それらを随時このサロンに持ち運び、話の中身との関連で皆さんにも見ていただき、あるいはその関係者との対話などもしてみたいと思います。ゲストとしてお招きする人々には朗読やパフォーマンスなどもして頂こうと思います。かつて私は谷川俊太郎君と共同で、青山の銕仙会能楽堂を舞台に「銕仙朗読会」を十数回主催したことがありますが、好評だったその会も、思えば夢のような思いつきから始まったのでした。
五〇年代、六〇年代に話題を限定するつもりはありません。現在すばらしい創造的なことをやっている若い人々をも、ここにお招きして話を聞き、また時に応じて私が対話などもしたいと思います。
さし当っては一ヵ月に一回くらいのペースで、数十人を収容できる部屋で始めてみようかと思います。もちろん夏・冬はお休みもとりましょう。私としては二十代、三十代の、やる気のある、素直で、しかも生意気なところもある優秀な人たちが、追い追い参加してくれたらいいな、と思っています。