二十一世紀を開く扉 〜言葉の探求、美の思索〜
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フォーラム発起人からのメッセージ

三浦雅士
文芸評論家

大岡信の仕事

  大岡信の特長はその色っぽさにある、と思う。顰蹙を買うかもしれないけれど、あえて言いたい。こんなに色っぽい詩人はいない。また、こんなに色っぽい批評家もいない。古今東西、こんな人間はまれだ、と。

 先日、思潮社の46周年を祝う会合に出て、突然発言を求められ、困惑し、その結果、お集まりの方々の顰蹙を買うようなことを思わず言ってしまった。すなわち、お集まりの方々を眺め渡せば平均年令がきわめて高い。この40年間、詩壇の面々に少しも変わりがないことがよく分かる。1960年代に大家だった方々が相変わらず大家のままである。ご同慶のいたりだが、ちょっと養老院みたいで気持ちが悪い。そう言ってしまったのである。顰蹙を買うどころではない、怒っておられた方々も多いと聞いた。当然のことだろうと、いまや深く反省している。

 もちろん、長生きするのが悪いと言うつもりは毛頭なかったのである。60年代のスターがなお現役のままというのは喜ばしい限りだが、その構図が少しも変わっていないことに衝撃を受ける感受性が少しはあってもいいのではないか。時間がなかったのでそこまでは説明しきれなかったので誤解を招いたわけだが、言いたかったことは、要するに、この40年間、若手があまりにもだらしがなかったということ、そのことを誰も言わないのはいくらなんでもひどいではないかということだったのだ。

 この場でそんなことを言うのは、それをさらに煎じ詰めれば、大岡信のような存在が一世代か二世代下にもうひとりいれば、詩壇も文壇も何も、ずいぶん違っていただろうということなのだ。1960年代から70年代にかけて大岡信が果たした役割は、先輩詩人たちの仕事を深く理解したうえで整理し、すぐれた地図を描いて後輩に示し、進むべき道を教えて、彼らを育てるというものだった。しかも隣接する芸術や学問(たとえば美術や音楽や国文学)との連関も示したうえでである。断っておくが、この仕事を大岡信は、自身の詩人としての仕事、それこそ大仕事を進めるかたわらで行なってきたのである。後輩たちはたいへんな恩恵を受けた。ところがである。誰ひとり、大岡信が行なったその重要な仕事を引き継ごうとはしなかったのである。みんな自分のことしか考えなかった。自分だけ良ければいいということになってしまった。したがって、後はもう、たんなる不連続、ジコチュー詩人が行き当たりばったりに登場する荒涼平野になってしまったのである。

 残念無念、悔しくてたまらない。

 大岡信のように仕事をしなさいといっても、もちろん難しい。だいたい大岡信のような才能がたくさんあるわけがない。だけど、大岡信だって凄い苦労もしたし、努力もしたのである。したい仕事だけではなく、しなければならない仕事もしたのである。それにしちゃあ、後輩たちは調子が良すぎるよ。大岡信の恩恵に浴しながら、後輩たちに恩恵を施そうなんて少しも思わなかったのだから。

 もっと大岡信の姿勢を見習わなければなりません、というのが、ここで強調したいことだ。もっと大岡信から盗まなければならない。偏見なく、多くのものに生き生きとした関心をもち、それをひとつの全体として提示するだけの視野をもつこと。その視野を地図にすることができ、それをもとにさらに探険を進める勇気をもつことだ。

 さて、大岡信にそれができたのは、と、ここで冒頭に戻るわけだが、独特の色っぽさがあったからである。論理的に説明するのはいささか難しいが、この色っぽさというのは、たとえば対象に溶け込む能力のことなのだ。もっと言ってしまえば、対象を愛する能力。これです。この能力、その詩にも、もちろん溢れている。この詩人は火にもなれれば、風にもなれる。大地にもなれれば、海にもなれる。凧になることだってできる。霧にくるまれて、太古の昔に戻ることもできれば、未来の果てにまで飛んでいくこともできる。まるで孫悟空だが、詩人たるもの孫悟空くらいになれなくてどうする! そして孫悟空が色っぽいのは昔から当たり前だったではないか。

 何をおいても、大岡信からその色っぽさを学ぶこと、学んでそれを活用すること。これは詩壇や文壇においてだけではない、すべてにおいて役立つことのように思われる。





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